追悼 宮城喜久子先生
Posted at 15/01/05 PermaLink»
アジア太平洋戦争末期の沖縄戦に動員され、多くの女子生徒が犠牲になった「ひめゆり学徒隊」の生存者で、ひめゆり平和祈念資料館の副館長などを務めながら戦争体験を伝え続けてきた宮城喜久子先生が、昨年12月31日に亡くなりました。86歳でした。
宮城先生には、私ども高文研が1981年から、最初は沖縄大学と、次には高文研単独で、その後は沖縄平和ネットワークと行ってきた沖縄戦跡・基地ツアーに、一貫してご協力いただきました。ある時はひめゆり平和祈念資料館で、ある時は荒﨑海岸で証言をしていただきました。
そうした中、8年をかけて苛烈な体験をまとめていただき、1995年、沖縄戦50年の年に出版することが出来ました。『ひめゆりの少女・十六歳の戦場』です。この本は沖縄修学旅行のテキストにもなり、全国の若い世代に読み継がれ、現在4万部を超えています。
先生が身をもって示された「非戦」「不戦」の教えを、わずかずつでも全国に広げ、植え付けていくために、私ども高文研も力を尽くしてまいります。
宮城先生、本当にありがとうございました。
沖縄県内だけでなく、全国各地に出かけられてのご講演、長年のお疲れは深かったことと思います。どうぞ安らかにおやすみください。
2015年1月5日
株式会社 高文研
【宮城喜久子(みやぎ・きくこ)先生略歴】
1928年、勝連村(現・うるま市)に生まれる。41年4月、沖縄県立第一高等女学校入学。45年3月23日、4年生在学中に沖縄陸軍病院(南風原陸軍病院)に動員される。同月29日、戦場で行われた卒業式で第一高女を卒業。同年6月21日、喜屋武荒崎海岸で米軍に収容される。
1946年8月、沖縄文教学校師範部卒業、以降1986年まで教職に就く。1984年より沖縄戦体験の証言活動始める。ひめゆり平和祈念資料館の建設に関わり、同館の運営員、証言員として活動、副館長などを務めた。